独り言・明後日の新月
明後日の新月に向けて、色んなことがありました。
仕事柄もあり、感情面では人よりも向きあう時間が長いはずですが、やはり所詮一人の人間がやってることなので、取りこぼしというのは当然あるわけでして。
この1週間ほどは取りこぼしたちを再度拾い集め、向き合うという事が結構続きました。
感情的に結構激しいものもあり、正直「またか」というガッカリ感も正直ありました。
感情に向き合っている方みんなが経験する
「結構努力してきたはずなのに、以前と何も変わらない感覚を再体験する」という事。
でも、その何度も何度も経験する「あの感覚」こそ、実は自分が自分に一番言いたい、伝えたい何かが含まれている。
そして、今回、それを深く実感しました。
本当に自分が自分に言いたい事ほど、激しいエネルギーを持つんだな、と改めて感じました。
この1週間ほどで感情が大きく揺れることがあり、挙句の果てに「またか!」という事が起こり「キーッ」となりました。
この「またか!」という事は不意打ちで突然やってくる事で、何かのタイミングで起こります。
(出来事の内容は気分を害される方もいると思うので、文章の一番最後に書いておきます。ご興味あれば、一番最後をお読みいただければ、と)
そんなこんなで、また感情に向き合ってみたところ
私は、この与えられた環境を我慢して受け入れるしかない。
でも、私は力不足故にこの状況を変えられない。諦めるしかない。
と思っている自分に改めて気づいたんです。
一方的に与えられる状況に甘んじない、負けたくない
でも、どうする事も出来ない・・・そんな思いがまだまだ未消化なんですね。
こういう向き合っても未消化な問題として残る事っていうのは「行動に起こして現実を変える」しか終わらせる方法はありません。
が、自分にとって「嫌だ」と思うことをする(一番下に書いてある内容)男性に遭遇する度に注意して回る、のとは違いますし・・・
そんなこんなしていたら、友人が編み出した「自分の創造エネルギーに気づく」ワークの内容がとても素晴らしく
「その発想はなかったわ!!」と目からウロコでした。
ワークって一人でするものじゃなく、数名で実践するからこそ生まれるエネルギーや共鳴。
それが本当に素晴らしいって思っていて、私もいつかオリジナルワークが出来たらなぁ、なんて思っていたのですが、手と付けていませんでした。
そして、友人の発案を切っ掛けに、ずっと思っていた「感情の感じ切りをワーク形式で行う方法」の構築に私も乗り出しました。
ずっと
方法を伝える→クライアントさんに実践してもらう→フィードバックをもらう→修正する→クライアントさんは実践
という図式から「共に」という部分を入れていきたかったんです。
でも、難しいなぁって思っていて。
そんな話を友人にしてみたら、色々アドバイスやアイディアをいただいたので
それらを軸にワークの構築を頑張っています。
私自身、いろいろ考えたら
「ライフ・チューニング」って方法を例えば私が伝えていくっていう事にピンときていないんです。
私に伝えられるのは基本的な事に過ぎないというか、それしかないっていうか。
ライフ・チューニングにしても、いろいろ削ぎ落した軸だけのようなもの。
そこから、学ばれた方々一人一人が、そこにご自身らしい肉付けをしてもらい「オリジナル」にしてもらえたらいいなって
私が渡した種を、それぞれの方が自分らしい花に育て上げる・・・
そんな事を考えると、もうワクワクするわけです!!!
例えば、ライフ・チューニングを学ばれた方がライフ・チューニングのエッセンスを料理に生かしたり
音楽になったり、会社で生かしてもらえたり、今までなかったサービスにつながったり
私には想像もできない方法ともに別の形になったら、いいなぁ!!って
そして、またその人たちから、また別の形でライフ・チューニングのエッセンスが受け継がれていく・・・そんな事が出来たら、生きててよかった!って言えるレベルの経験だわ、と。
今回のワークは、ライフ・チューニングの私なりの「新たな形」なのかもしれません。
そして、その新たな形が本当の形となりワークとして確立出来たら
また、それがクライアントさんたちの手によって、新たな形になっていったらいいな~~!なんて思っています。
そういえば、私の好きは「異質なものが一緒になり新しい何かを生み出す」で
嫌いは「交じり合おうとしない状態」
自分の好き、はやはり願いややりたいことに直結しますね。
そして、「私は力不足故にこの状況を変えられない。諦めるしかない。」も
一人で全部をやろうって思ってたからだわ、と
一人でやろうと思ってたから、出来なかった。
自分がこの状況を乗り越えるために「好き」を実践していけば良かった。
なので誰かと協力して状況を変えていけばいい、それだけだ、と。
きっと一人でなんとかせねば!と思っていた時に「またか!」が起きたんじゃないかな、と思っています。
本当に日々、学びです。
もし、私の「またか!」に、ご興味あれば。
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私にとっての「またか!」は男性の立ちションです。
なぜか、運転中に曲がったら、その人がいた、みたいな不意打ちを食らいます。(田舎ゆえかもしれませんが)
私個人としてはの状況から「男性上位社会」を目の当りにし
また、そこから逃げられない、女性は男性が作った環境を受け入れるしかない、ように感じで深く怒りを感じます。