言語化の質=観察力の質=未来の質
言語化の質=観察力の質=未来の質
そして、言語化の質は観察力の質が影響する。
極論かもしれませんが、結局ここにたどり着くんじゃないか、と感じています。
観察力とは「相手とどこまで深く関わりたいか」の意思と比例するんじゃないか、とも考えています。
何かを成し遂げよう、生まれて来たからこそ、何か形にして残そうと決めてきている人は、気づいたら色んな事に興味を持ち、観察しているんだと思います。
その理由は、単純に「自分が成し遂げたいことは、一人ではできない。と分かっている」ので、成し遂げたい何かを相手から知ろうとしているのか
もしくは、仲間を反射的に探しているんだと思います。
そして、「自分が成し遂げたいことは、一人ではできない。と分かっている」から、色んな人に興味を持つ。
なので、反射的に色んな人や物や動きや変化を観察してしまう。
そして自分が観察してきたもの、自分が気づいたこと、得たものが何かを知りたくて、それらを言語化して、観察したことを言葉で理解して
観察を智識や智慧に変えていく。
なので、未来の質を高めるには観察力と言語化力が必要となる。
でも、中には今世は自分で何かを成し遂げたり、何か形にしとうとしない人もいます。
(決めてきたけど、後天的にやらないと決める人もいますし、先天的にやらないと決めた上で生まれてくる人もいます)
その人たちは、自分にとって興味のある人、メリットのある人、好意を感じる人だけ観察します。
でも、メリットが無いと感じると途端に興味を失い、観察しなくなります。
観察力が無い人の気持ちを覗いてみると「人と深く関わりたくない。相手を観察して相手の事を知ると、何らかの感情が動きのが面倒」と思っている傾向があるな、と感じています。
その人が今世で何を大切にして、何を経験したら幸せだと感じるか?は人それぞれですので、ここに決まりも正解もありません。
でも、魂の目的は自己成長、その一点です。
そうなると、様々な経験をして、新しい事に挑戦して、何かを成し遂げる過程を経験することは魂レベルの喜び(未来の質)なわけです。
なので、言語化の質=観察力の質=未来の質と言えるのではないか、と感じています。