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助け合いから生まれる調和、その世界のために。

自分軸と他人軸の良い例

自分軸は自分の感覚と直感(魂の声)と共に生きること

他人軸はそれ以外の生き方

 

って感じです。

 

なので何が起きても、何があっても「自分の感覚、直感に従って生きる」ことが自分軸。

なので、自分軸の構築レベルを調べるためにお試しが、チョイチョイ起こり

その中でも「医者の言う事を鵜呑みにするか、それとも自分の感覚か?」という最大限のお試しが起こることがあります。

 

私はアメリカの医療ドラマを見るのがですが

必ずどこかのシーズンで

「西洋医学を全面的に否定する親 VS 医者」

というシチュエーションのエピソードがあります。

これ、鉄板ネタなんでしょうね。

 

大体のシチュエーションは

 

両親は自然派、もしくは偏った考えゆえに、西洋医学を全面否定する。

 ↓

子供を西洋医学から遠ざける

 ↓

子供がレアな感染症に罹る(が予防接種で防げる、西洋医学で治療可能、という設定)

 ↓

医師の判断は、家族や身近な人も感染しているかも

 ↓

さて自分や家族(他の子ども)は予防接種を受けるか

もしくは「患者(子供)に薬を与えるか」

 

 

そして、当然、医師からは適切な治療を受けるように助言されます。

が、両親は「薬の副作用が」「それよりも自己治癒力をあげるべきでは」「予防接種だって100%安全じゃない」と難色を示す。

子供の状態はみるみる悪化・・・

 

影で医師同士で「子供を殺す気か!!」と言われているが

親は難色を示したまま

 

みたいな。

 

ここで両親は自分軸か、他人軸かって話になるわけですが

 

「薬の副作用が」

「それよりも自己治癒力をあげるべきでは」

「予防接種だって100%安全じゃない」

の時点で、他人軸です。

判断基準に理由と原因があり、それを軸に判断している

また、良い悪い、怖いと安心という「恐怖ベースで判断」しているからです。

 

自分軸で判断する時は、何の根拠も裏付けもないけど

「なんかいや」

「そうじゃない気がする」

「こっちのほうがいい気がするんだけど」

の程度です。

自分が嫌だから、自分が納得できないから、だからYESと言えない。

そして、そんな根拠も裏付けもない事をどこまで信じ抜けるか??

が自分軸を構築する上での最大のポイントです。

 

前者と後者の視点の違いは

前者は過去の実体験、知識を軸に判断しているので視点が過去に向いています。

そして、その判断によってどうなるか?の予測がつく。

後者は今の判断が未来にどう影響するか??を感じた時のことなので、視点が未来を向いている。

そして、その判断によってどうなるか?の予測はゼロです。

 

この差は本当に大きな結果を生みだします。

 

って言ったところで

「そんな重要な局面で、直感なんて危ういもの、信じられない」って方がいらっしゃるとは思いますが

自分軸が立ち上がってきて、感覚が敏感になっていくと

頭ではどれだけ「~は良い」「~~を使うべき」とは理解しても

心が納得いかないんです。

なので、結局、自分の感覚を軸に判断してしまう、という感じです。

 

*      *

 

ドラマの話で言えば、両親が感覚的に「いや、今は自己治癒力に頼るほうがいい」と感じ取っているなら、自分軸での判断ですが

だって薬は怖いでしょ?副作用で苦しむっていうし、という思考での判断は他人軸での判断なので他人軸です。

結果的に自分で決めるから自分軸、ではないんです。

結果に至る過程が重要です。

※ 結果的に自分で決めたから自分軸、と考える方が多いですが、間違いです。

 

自分軸で生きる、ということは、全責任を自分で背負うという事でもあります。

お医者さんが~~って言うから

だってあの人が~~するべきっていうのよ

普通~~したほうがいいじゃない?

という視点での判断の全て、他人軸。

 

そして他人軸は良いんですよね、責任を他人に任せてしまうので

何かあった時に相手のせいにできるから。

そして自分では何も考えなくていいので、単純に楽。

 

自分軸での判断時は必ず「私が~の方がいいと感じる」それだけです。

自分の中ではその感覚は絶対的な物。

しかし、そんな感覚的な判断なので、他者に理解もされないし、時には否定もされるしバカにもされることもあります。

それでも、誰に何を言われようとも、自分の感覚を信じられるか??

 

それこそツインソウルの関係で言えば、二人の関係を他者から完全否定されても

理解できない事が起きても、目の前で自分が信じていたことを全否定されるような事が起きても

それでも、自分の感覚に従い続けられるか。

これが肝となります。

 

自分軸を立ち上げる。

自分で決めてる。

言うのは簡単です。

でも、時には自分や家族の命を懸けた判断を迫られる時すらあるんです。

それは究極の選択であり、この判断が人の生き死にを左右する、そんな事すらあります。

ただ、言えることは

自分軸が立ち上がっていれば、自分の感覚が確固たる裏付けになる、ということ。

自分の感覚が~~って言ってるから絶対に大丈夫、という自信になるんです。

そして他人の意見に従っていないので、誰かに「どうだと思う?」と聞く必要もありませんし

それを選択したことによっての不安がありません(裏付けが自分の中にあるので)

 

ライフ・チューニングは感情を通じて魂の浄化や、思い込みを外すだけではありません

その過程を通じて自分軸を立ち上げるということでもあるんです。

自分という存在を生きる上で最大限の味方にする

そのための時間となるのがライフ・チューニングです。

 

私自身、完璧な自分軸かって言われると、グダグダな時もありますし

褒められない時もいっぱいありますが

それでも「ここぞ」という時には自分の感覚で判断しますが、その時に自分の感覚が裏付けとなるため、変な不安はありません。

この不安が無い、自分の中で確固たる自信がある、というのがどれだけ生きやすいか、です。

 

生きやすさ、人生を楽しむためにこそ、自分軸ですね。