偽情報を取るか、愛をとるか?
Lの世界というアメリカのドラマがあり、新しいシーズンの最終話がHuluでアップされました。
『決断』というタイトル通り、それそれの登場人物に色々な出来事が起こった最終話。
最終話でダニがアリスに
「欲しいもののために戦わなかった」
「愛してるから手に入れるために戦う」
という言葉を伝えます。
この言葉はダニのアリスに対する決意だけではなく、この物語の軸だと感じました。
現在、「諦め」という自分が自分に課した「壁」に向き合っている人が多いですが
「諦め」の根っこにある理由、原因もこのセリフそのものじゃないでしょうか。
しかし、戦う相手は他人や外側じゃない。
手に入れたいけど、それを手に入れることを躊躇する自分
手に入れたいけど、他人の意見をや状況を優先してしまう自分
それらの自分が、戦う相手。
水瓶座時代の色が濃くなるにつれて「嘘」がはびこり、フェイクニュースに、偽の情報も増えると言われています。
その中で
「タイミングが合うまで待てばいい」
「自分に向きあうなんて古い」
「マイナスの感情なんて宇宙に返しちゃえばいい」
「重たい感情とか闇とか、そんなのそもそも無い」
「使命なんて無い、気楽に生きればいい」
などの意見も増えています。
そして、それらの情報に「そうか、そうだよね!」と安心を感じる方も多いでしょう。
確かにこちらの情報のほうが気楽ですし、重たくない。
なんか、そういうほうが波に乗ってる感じもする。
でも、それらの情報は
「欲しいもののために戦わなかった」
「愛してるから手に入れるために戦う」
事を諦めた自分に餌をやり、諦めることを受け入れている自分を育てていないか?
を意識する必要があると思います。
偽情報を流す人は、自分の傷、トラウマ、思い込みが生み出す現実に真正面から向き合う事を「諦め」
自分が命を懸けてやるべき使命から逃げている(使命は、傷やトラウマを乗り越えた先に見つかるもの、なのでそこから逃げていたら使命には気付けない)
でも、その自分を肯定するために、偽情報で一時的な安心感を得ようとしているだけだと私は思っています。
彼らも傷ついているわけですが、その傷は彼らの自己責任であり
彼らは彼らで自分の傷は自分で癒すしかありません。
私達が彼らの傷に共鳴する必要はありません。
「欲しいもののために戦わなかった」
「愛してるから手に入れるために戦う」
愛しているものを手に入れるために、私達は生まれてきたんじゃないでしょうか。
そして、それを、手に入れるための術を知るために傷ついたり、苦しんだりしてきたんじゃないでしょうか。
目の前にある愛しているものを今世も手に入れなくていいのでしょうか。
自分が今世、やるべきこと。
経験したい事
手に入れいたい事
そこにしっかり意識を向け続けること。
目の前にある情報を受け入れて、実践した時に30年後の自分が幸せか?笑っているか?を考えてみるといいと思います。