Lokahi-a-kulike 

助け合いから生まれる調和、その世界のために。

自分の傷が生み出すコンフォートゾーン

直感を受け取れない

直感が分からない

※ここで言う直感とは、宇宙からの指示を意味します。

 

というご相談を受けます。

現実的には感情を押し殺し、感情を感じないように生きてきた方

自分より他人の意見を軸に生きてきた(他人軸)方は感覚が鈍いので

直感自体がどういう感覚を伴うのか、がピンときていません。

なので直感を受け取ろうとしても、何をどうしていいのやら・・・という状態になってしまいます。

 

さて、ここからどうやって感覚を取り戻すか?

それは単純に自分の感覚だと感じる事一つ一つを認識して、それを選択するだけです。

なにかを選択する時に「感覚」を重視してみる。

 

いや、こうしたほうが早いから

こうするのが普通だから

これが一般的だし

 

と言い訳しては感覚より「他人軸」を優先する方がいますが

それをしている限り、直感を受け取ることも感覚を取り戻すこともできません。

脱他人軸を可能に出来るのは、他人軸からの意見に左右されない自分で居続けるしか方法はありません。

 

ただ、直感、感覚に従いました「あっという間に直感が分かるようになりました」という事は「起こりません」

直感だ、感覚だと感じることを拾い上げ、それに従ってみては失敗したり、うまくいかなかったり

それでも、やっぱり直感だ、感覚だと感じることに従い続ける

そうやって、失敗を何度も繰り返し、前進したり後退しながら、徐々に気づいたら直感や感覚が分かるようになってきた・・・ような。

その程度です。(この過程には数年かかる方が多いです)

 

しかし、時間のかかるこの過程を乗り越えられない人も多いです。

数日~1週間ほど挑戦しては「出来ない」「分からない」「変わらない」と投げ出してしまう。

が、本人たちは「変わりたい」「本気なんです」「感覚で生きたい」と訴える。

 

なぜこのようなことが起こるのか?

それは「現状に困っていない」

それが本心だからだと思います。

 

表面の自分が、今の自分の現状の悲惨さ、辛さを他人に訴えたところで本心のレベルでは「困っていない」

結局、本心では自分のコンフォートゾーンが「そこにある」

なので何を切っ掛けに動いたらいいのか分からないんだと思います。

 

表面の自分は変わりたいと望むけれど、本心の自分は「ここが心地いい」と思っているから足並みがそろわず、その場に居続けるしかなくなる。

 

私はそのような方に「どん底を経験してみる」ことをお伝えしています。

徹底的に自分の現状を客観的に受け止めて見る。

表面の自分が思っている悲惨さ、辛さを徹底的に心底味わってみる。

(あえて表面と本心の方向性を合致させる)

 

外側の現状は自分の潜在意識で受け入れている事柄(それが当たり前、普通と受け入れてしまっている事柄)が反映されている。

だからこそ、外側の状況や状態をすべて自分の情報だと受け入れてみる。

外で何が起ころうと

自分の身に何が起ころうと

相手がどれだけ悪くて、自分に非が無くても

外側を一切理由や原因にしない。

全て自分に原因がある、と受け入れる。

 

そうやって自分が見聞きすること、経験する事

そこから自分が感じたこと、そこから引き出された自分の前提(思い込み)感情の詳細を受け止める。

客観的に自分が持っている、自分の人生の前提を受け止める。

(ここで、ライフ・チューニングや感情の感じ切り、扱い方を活用されることをお勧めします)

 

すると、自分が選んでいるコンフォートゾーンが、自分にとって全く心地よくない事

けど、これ以上傷つきたくないだけで、そこに居続けているだけだったこと

その場所は確かに傷は増えないけど、喜びも幸せも無いこと

「全くComfortableじゃない」事に気づけます。

 

こんな場所に居続けたくない、こんな状況は嫌と心から思えた時、コンフォートゾーンは今までとは違う場所に設定され、そこを目指したくなるわけです。

自分が選んだ場所を徹底的に味わい尽くすことで、今よりももっと心地よい場所という新しい設定が出来る。

そこを目指し始めた時、人は本当の意味で変われます。

 

そしてその時が初めて「傷に向き合い、乗り越えよう」と出来るんだと思います。

傷を再体験しないための、コンフォートゾーンである限り、傷に向き合えません。

でも、その場所が自分にとって快適じゃない事を体験すると、やっと人は動き出せるのです。

 

そして、その経験があるからこそ

今までの自分が快適だと思っていた場所から喜びは生まれないことも分かる

なので、やっと本当の意味で、自分の感覚や直感に目を向けられるわけです。