Lokahi-a-kulike 

助け合いから生まれる調和、その世界のために。

事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!のセリフの重要性

経験するからこそ、本当の問題点が分かる

智識でもある程度は理解は出来るが、上っ面だけの机上論になる

しかし、知識に経験値が重なると、そこに在る問題点(改善点、良い方向に導く策)がわかる

 

ドラマなんかでこのやり取りをよく目にすると思います

それこそ、踊る大捜査線

「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ」

そのままだと思います。

 

私は警察関連の人間じゃないので、実際のところは分かりませんが

ドラマや映画を観ていると、大きな事件が起きているというのに、会議室ではキャリアと呼ばれるお偉いさんがずらりと並び

智識を並べて、ああだのこうだのと会議しますよね。

しかし、たいていそこでのやり取り、そこから生まれた指示は現場とは大きなズレがあり

会議室からの指示は現場にとっては迷惑でしかなかったり

現場の状況、流れを妨害することばかり、みたいな。

結局、「事件を経験している人間」にしかその事件が抱える問題点、解決策は分からない。

 

私たちの魂が望む幸せを経験するには、私達の魂を縛り付けている思い込み(観念)を見つけ出し、昇華することが重要になります。

そして、その思い込みを見つける手がかりが感情です。

そして、その感情はただ悲しい、とか寂しいという表現にとどまらず

魂の願いが叶わなかった、実現しなかった、妨害を受けた時の経験の再体験その物です。

だからこそ、そこにある経験、体験を言葉に置き換えることで思い込みと、魂の願いが分かるのです。

(魂の願いの実現が出来なかった、を再体験することで魂の願いが分かる)

 

なので、感情の感じ切りの説明は

「思考を使わず、そこに在る感覚がどのような体験や経験なのかを言語化する」

になるのです。

そして、それを実行し、感情をシッカリ再度経験することで、自分の内側にある問題点(思い込み)に気づいていけるのです。

 

が、感情の感じ切りを、警察幹部的に思考でああだの、こうだのとやってしまうと

現場とのズレが生じ、現場に混乱を招いたり、最悪の場合は犯人(思い込み)を取り逃がしてしまうことすらあるのです。