感情の感じ切りは「自分の魂」に向き合う行為
感情をグーッと感じる
悲しい、悲しいってしっかり悲しみを味わう
それが感情の感じ切り、と思っている方がまだまだ多い現状があります。
(私も最初はそう習いましたし、それもある程度は効果がありますが)
でも、そうやって表面的に感情を味わうだけでは、本当の意味での癒し(自分が自分に思っているセルフイメージや、思い込みなどに気づいていく)は起こりません。
それどころか、潜在意識は本人の本気度に関わらず、目を向けてもらったことに喜んで
「もっと聞いて」「こんな感情もあるよ!」と訴えかけてきます。
なんとなく感情に向き合っている人は、その状況に驚くわけですね
「なんで?感情に向き合ってみたら、もっと感情が溢れるよういになった」
「前よりも深い感情が出てきて困ってる、なんで?」と
そして中には溢れる感情に耐え切れず、感情に向き合うのを止めたり
適当に感情を解釈したり、分析して、原因や理由を突き止めて「感じ切った気」になることで
自分自身を納得させようとする人もいます。
そうやって、自分の感情を解釈したり、分析したり(思考を使って抑え込んでいく)すると徐々に感情が動かなくなる、感覚が鈍くなるという事が起こります。
出てきた感情を抑え込んだため、喜びも悲しみも無い「感情の起伏が無い」状態
まるで「凪」の状態に入っていくのです。
が、人って面白いもので、その状態を「達観した」と捉える人もいるんですよね。
しかし、問題は別にあり「感覚自体が閉じる」ため、直感が鈍くなり
宇宙からのメッセージの受信機能が衰えます(宇宙が示す幸せへの道は、直感などの感覚で受け取るしか術がないため)
なので、そうなると人が生きていくためには思考で判断し、考え、結果を出す、という事をしないとならなくなり(宇宙との交信が途絶えるので)
そうすると、自分の魂の願いの実現から離れた生き方をすることとなるため
人生自体があまり良い方向に進まなくなります。
そもそも、お金はその人の魂の願いを叶えるためのエネルギー源なので
お金の流れが悪くなったり、お金に苦労するようなことが分かりやすく起こります。
感情の感じ切りはただ感情に向き合ってるだけではなく
感情の根っこにいる魂に向き合う行為。
だからこそ、中途半端に向き合ったり、適当にすれば、それが自分の人生に跳ね返ってきます。
なので向き合うなら、徹底的に向き合う覚悟を持ってください。