Lokahi-a-kulike 

助け合いから生まれる調和、その世界のために。

トラウマという防衛反応

 私は、ある人と出会ったことが切っ掛けで、

人生の全てがひっくり返るような経験を私はしています。

 

その人は、私の潜在意識の深い深いところにある、トラウマや傷、闇を徹底的に引きずり出し

私自身が、それらから学びきり、終わらせ

私自身がトラウマから自由になるまで、手に変え品を変え向き合わせ続ける人でした。

まさに、自分の魂の取りこぼしの全てを引きずり出す人、でした。

 

私の魂が封印していた、過去世のどこかで魔女狩りに遭った記憶まで

あの人は引き出してきたのです。

 

大切な存在たちと、ただただ仲良く、楽しく暮らし

自分が好きな薬草のことや、薬の研究に没頭していただけなのに

自分の喜びが、誰かの喜びになることを楽しみにしていただけなのに

突然、知らない男たちが集団でやってきて、すべてを粉々にされた記憶。

生き残ってしまった私が、大切仲間たちの亡骸を抱きかかえながら、ただただ感じる絶望。

自分がいままでしてきた研究では、今起きていることをどうする事も出来ない事実

自分の好きを味わうことは、自分の仲間の命に係わるという事

自分が喜ぶことは、誰か(男たち、世間の人たち)にとって悪となること

自分が存在したばかりに・・・という深い罪深さ。

そして「喜ぶこと、愛する事」を止めることで、大切な存在を護ろう、世間の秩序を守ろう、と決意した時の事を思い出したのです。

 

この記憶に触れた時、自分の中にあった様々な「人生に対しての疑問点」に合点がありました。

何かをとても好きになるという事に対して持つ、罪悪感

相手に自分が好きだとバレてはいけないという危機感

そして誰かと深くつながることを強烈に求めるのに

それが現実化しそうになると逃げだす私自身

その根っこにあったのは、過去世の記憶だったんだ、と。

 

トラウマレベルの記憶の扱い方は難しい。

難しい理由は、その記憶を持っているままのほうが「あんな思いをしなくていい」からです。

輪廻先生の中で「あんな経験をしないため」の防衛手段としての記憶

自分の人生を安全で安心なものにするための境界線。

 

とは言っても、輪廻転生の中での最悪手前の安心、安全の話。

人って不思議ですけど、自分にとってのキャパオーバーと感じる最悪手前のことって

一度経験すると免疫がつくので「平気」になっちゃうんですよね。

 

でも、その境界線を越えていかねば、ずっとあの時の私の枠を越えられず

あの時に感じた幸せ以上の幸せは経験できない。

 

それを越えるには、それは過去に起きてもう終わっていて

あの時の私と今の私は別人だ、という事を知ること

そして、その時に封印した記憶と感情を味わい尽くすこと。

その時の記憶の全てを、今の私の語彙力で言語化

あの時の私の想いを受け取る事。

あの時の私の悲しみの質量を減らすことが癒しの第一歩です。

 

そして、あの時封印した想いと

自分に課した掟を今の私が外すこと

魂を過去の記憶から自由にすることです。

 

そして、私の取りこぼしを見せてくれたあの人自身も

私との関係の中で、いろいろな自分に向きあう事になったそうです。

相手は男性なので、内観という事に慣れてないこともあり戸惑う事も多かったようです。

 

でも、不思議と私が一つ楽になると、相手も楽になるという事も重なりました。

女性が自分の傷に向き合い、楽になるということは

自分とご縁のある魂たちの癒しにもつながる、ということなのでしょう。

 

自分が幸せでいる、ということは

自分とご縁のある人全てが幸せになるってことなんでしょうね。