Lokahi-a-kulike 

助け合いから生まれる調和、その世界のために。

学びきった先に表現する世界が「許し」

『プラージュ』というドラマをご存じですか?

様々な背景から犯罪を犯し、プラージュというシェアハウスで暮らし、そこから社会復帰しようとする人たちの話です。

 

このドラマを観て思ったことは「経験から学びきった時に、許しが起こる」ということでした。

 

主人公のタカオは自分が犯した罪をなかなか受け入れる事ができません。

それどころか、自分は巻き込まれた被害者だ、と思っている。

 

しかし、プラージュで集まる人たちと関わりながら、「罪」について向き合うようになります。

そして最終的には、彼は自分が犯した罪を受け入れ、学び、成長させ、社会復帰に向け歩き出します。

 

よく、クライアントさんから「許されたい」と言う言葉を聞きます。

ライフ・チューニングを行う中で、多くの人が通るのが「許されたい」という欲求です。

自分の罪深さを感じた時、自分は生きていてはダメなんじゃないかと感じた時に

誰かによって許されることを深く求めるのです。

 

 

なぜ、誰かによって許されたいと願うのか?

それは

「相手は私」

「相手は自分の内側を映し出す鏡という法則」

を忘れている(腑に落ちていない)

相手を自分だと思えない、相手は自分じゃないと考えてしまうから、だと思います。

なので、自分が欲しいものを相手が与えてくれる、それが手に入ったら楽になれるはず、という思いを持つ。

 

だからこそ、

相手は自分だ

相手は自分の内側を映し出す鏡

と受け入れ

現実から自分の潜在意識の状態を知り、受け入れ、学び、自分を成長させる(ありのままの魂に近づく)事

過去の苦しい経験から何かを学べた時に、その苦しい経験に感謝する心が生まれる。

そして、その状態を人は「許す」って表現するんだと思います。

 

許しとは自分が学びきった時、その状態を指す言葉だと私は考えています。