男性性優位の女性と感情の感じ切り(潜在意識の浄化)
私達はどうしても思考を使い、正解を導き出すことを「良し」とされてきました。
なので考えて正解を見つける
物事を分析し、解釈し、原因と理由を見つける事が大事
というのは私たちにしっかり根付いてしまっています。
が、感情の感じ切りはその逆を行く方法で、正解を探さない、分析しない、解釈しない、原因や理由を見つけない事を良しとします。
私たち女性の中には見た目に関係なく、内面の男性性が優位な人がとても多いです。
が、面白いもので、そういう人の方が見た目が女性らしかったり、
女性が喜びそうなものを好んだり(スカートが好き、とかピンクが好きとか)
女性だから出来る仕事(保母さんや水商売などなど)をやってる人が多い傾向もあるなぁと経験上、感じています。
そして、本人たちも「自分はどちらかというと女性性が強い」と思っていたりするのです。
なので、その人たちに女性性の傷とか、女性性の解放という事を伝えても
「私は出来ている」と思っている人もいるほどです。
が、そのような人たちが言う女性性は「男性社会で生き残るための術」としての「女性的な生き方」を意味するだけなので
根底にあるのは男性性優位な状態なわけです。(どう生きるかを考えた結果、女性を全面に出したほうが良い、という結論に至っただけ)
そして、女性を全面に出して生きる=女性性が強い、感覚的だ、直感的だとすら思ってしまう人も多いです。
女性で生きる事は彼女たちにとって戦術でしかないのですが・・・。
なので、その人たちの話を聞いていると、まぁ頭の中は常にフル稼働だったりします。
ああして、こうしてあれをして、これをせねば!
あ、でもこれをしたら・・・ああなるかも・・・
などなど、常に頭で何かを考えては答えを導こうとしている感じです。
男性性優位の人が感情の感じ切りをやろうとすると、まずは大混乱が起こります。
今までの自分の生き方、考え方、価値観の全てを一旦ひっくり返さなきゃならない。
が、男性性優位ゆえにプライドも高いわけですね。(今までの生き方で自分なりの結果を出してきた自負があるため)
なので「なんで、自分が否定されなきゃならないんだ」とか「自分のどこが間違ってるっていうの!?」とまた思考を使い始めます。
そして、なんとか今までの自分を保ちながら前に進みたいんだ!私は間違ってないのに!
と必死になります。
男性性優位の人が感情に向き合おうとするとき、極端な言い方になりますが
「今までの自分は感情に向き合う上で一切通用しない」という事実を受け入れるしかないんです。(が、当然、ここで皆さん長期に渡り苦労しますね・・・)
今までの自分を保ちながら、感情の感じ切りをするのではなく
今までの自分を横に置くことに意識を向けることから始める。
考えるんじゃない、感じること。
見たこと、聞いたことなど、自分の外側に答えはないことを受け入れること。
そして、重要な事は「時間がかかる」という事を受け入れる。
思考優位、思考100%で生きてきた人はこの過程で何年も苦労します。
特に今まで理解すればいい、理解したら出来るようになる、という視点で生きてきた人にとっては
最速で、頭で理解することで「この状況を乗り越えよう」とします。
理解すればいい、方法が分かればいい、それが出来れば「今すぐ」乗り越えられるのに、と今までの自分なりの解決法でまた臨むのです。
なので、時間がかかるという事が、頭で理解はできるけど経験上理解が出来ていない。
時間をかけずに乗り越える事にばかり目が向いてしまう。
そして、出来ない、なんで?どうして?何が悪いの?と原因探しに没頭する。
でも、それこそがエゴ(偽、ウソ)の落とし穴だってことです。
偽物の世界はあっという間に叶う、出来る、成功する世界ですが
本物(真理)はユックリ、ジワジワ、気づいたら・・・の世界ですから。
(本物のダイヤは長い年月をかけて生まれますが、人工ダイヤは短期間ですよね)
そうやって、時間をかけて思考優位という偽物の自分を終わらせ
本物の自分を取り戻すにはとにかく時間がかかる。
この過程は自分との戦いですね。
エゴが見せる、簡単であっという間に出来そうな世界に引っ張られそうになっても
グッと我慢できるか、です。
ちなみに女性性が優位の人は、やはり感覚的ですね。
ただ、腹が据わった感覚派です。
女性性が優位の人が共通して言うのが「排卵のタイミングが分かる」「妊娠する日(時間帯)が分かる」だな、と。
自分の身体の微細な変化を感覚的に感じ取っている人が多いですね。
あと、子供に飲ませる薬や病院に行くタイミングも完全に感覚で判断しています。
なので、自分の感覚で生きるという事は、自分の感覚に絶対的価値を持つこと。
そして、そこで起こりうることの全責任を自分が背負うという覚悟。
「自分の感覚で家族や仲間、地球の未来を守る。そのためになら、なんでもする」という事こそが、彼女たちのリスクの取り方であり、覚悟ですね。