魂の願いの詳細を知るために起こる事
私達は過去の未消化の経験から作られた「思い込み」を通じて現実を見ています。
なので、思い込みの数だけ事実が生まれる。
その結果「現実をありのまま、正しく捉えている」人はほとんどいません。
思いこみが出来る過程を説明すると
例えば
過去世のどこかで心から信頼していた恋人に裏切られた経験を持ち、人生のどん底を味わった経験があり
その時から「人を信頼することに恐怖を感じるようになった」人が居たとします。
そして「あの時、恋人の裏切られた」という経験を昇華をせずに、ずっと持つことを「あえて選ぶ」のです。
その理由は、「あんな経験をしないように」「もうあんな思いをしないように」という防衛反応が働き、信頼から自分を遠ざけ、安全を確保しようとするからです。
そして、その人が別の誰かを信頼しようとすると「人は怖いぞ」とか「信頼するととんでもないことが起こるぞ」という言葉を使って働きかけます。
その働きかけ方が「思い込み」
「思い込み」という言葉の呪縛を自分で自分にかけるのです。
もしくは別バージョンで、信頼できない相手とあえて関係性を作り「ほらね、人って信頼したらダメなだよ」と再度思い込ませるような出来事を起こしたりもします。
とにかく、過去で深く傷ついた自分は「もうあんな経験をさせまい」とあらゆる手を使い「信頼」から遠ざかろうとするのです。
が、人というのは面白いもので
あんな辛い経験をしたにも関わらず、その辛い経験の軸にある経験に強く惹かれます。
裏切られた人は、信頼関係を強く求めるわけです。
そして、深いところでは信頼したい、でも怖い、嫌だという相反する状況に翻弄されてしまいます。
その理由は、その人の魂が経験したいことが「真の信頼」だからです。
しかし、生まれながらに真の信頼を経験してしまうと、その魂が「信頼を今経験している」ということに気づけません(比較対象が無いため)
なので、比較対象を自ら得るために、その反対の裏切りをあえて経験します。
また、魂によって「どのような信頼を経験したいのか」は違います。
例えば、師弟関係、恋人、家族、社会の一員として、加害者と被害者のような到底分かり合えない関係性の中で、宇宙と人間・・・のように「どのように」は違う。
なので、自分の魂がどのような信頼を経験したいのか?の詳細を知るために
信頼の反対にある、ウソ、裏切り、陥れるなどを、特定の関係性の中で経験し
自分の魂が経験したい、ある特定の関係性を理解するために「その反対」を経験しまくるのです。
魂が経験したいことはまず、その反対にある極陰を経験します。
そしてその極陰の経験の中で傷つきもするし、辛い思いもするけれど
その経験があるからこそ、自分の過去のどこかで出来た思い込みにも気づけ
その思い込みの呪縛から自由になることができ
自分の魂が経験したい事柄の詳細もつかめるからこそ
魂が経験したい方向に歩みだせる、のです。
魂の願いの実現には様々な過程があり、決して平たんな道ではありません。
しかし、極陰を経験するからこそ、その反対にある極陽も経験でき
その中心にある中庸を知ることで、その人の核がしっかりと形成されるのでしょう。